ふぁーみんぐ通信06年5月号

               匝瑳(そうさ)市に因んで〜麻文化の歴史とこれからの展望の巻〜




 
匝瑳の里山に昔は麻が生えていたはず!

●06年1月23日に匝瑳市誕生 


4月のアースデイ東京2006のイベント時にはじめて知っただが、千葉県の
漁港で有名な銚子市へ行く途中にある八日市場市と野栄町が合併してで
きた町が匝瑳(そうさ)市という。そして、この匝瑳という字の語源が
麻に関係しているという話をこの地域の近くに住んでいる方から聞いた。

匝瑳=麻???どのようなつながりなのか?さっぱりわからなかったが、
早速インターネット検索で調べてみると、
なんと市のホームページに下記のように載っているではないか!!

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<匝瑳(そうさ)とは?>
匝瑳という地名は、現存のものでは、奈良東大寺正倉院に伝わる
庸調(「ようちょう」朝廷に納めた特産物)に見られる
天平13年(741年)の記録が最も古いとされています。

匝瑳の由来は、
平安時代前期の歴史書「続日本後紀(しょくにほんこうき)」によれば、
大化の改新(645年)の100年以上前、5世紀の終わり頃から6世紀
のはじめにかけて、畿内(現在の近畿地方)の豪族であった
物部小事(もののべのおごと)という人物が、坂東(ばんどう・現在の関
東地方)を征した勲功によって、朝廷から下総国の一部を与えられ、匝瑳
郡(そうさごおり)とし、小事の子孫が物部匝瑳(もののべそうさ)氏を
名乗ったと伝えられています。

匝瑳の語源については諸説あって定まっていませんが、
930年代に編纂された漢和(百科)辞典である
「倭名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)、略して倭名抄(わみょうしょう)」には
狭布佐(さふさ)と書かれています。「狭」は美しい、「布佐」は麻の意で
”美しい麻のとれる土地”であったことから、狭布佐(さふさ)が転じて匝瑳(そうさ)
になったと考えられます。

なお、漢和辞典によれば、
漢字の「匝」は、訓読みで”匝(めぐ)る”と読み、
一巡りして帰るという意味があり、「瑳」は、訓読みで”瑳(あざ)やか”
あるいは”瑳(みが)く”と読み、あざやかで美しいという意味があります。
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しかも、この匝瑳は、合併後の新市名の住民投票で漢字とひらがなを合
わせて1位、2位に選ばれている。(すごい!)

第1位  匝 瑳 市     901名(25.8%)
第2位  そうさ市     595名(17.0%)
第3位  八栄市(やさかし)193名(5.5%)

匝瑳市ホームページ
http://www.city.sosa.lg.jp/


●徳島からやってきた忌部(いんべ)氏

なぜ、この匝瑳の地に麻が植えられていたのか?その答えは忌部氏の関東
開拓がきっかけとなっている。807年に書かれた「古語拾遺」によると、
忌部氏の始神「天太玉命(あめのふとだまのみこと)」の孫にあたる天富
命(あめのとみのみこと)が阿波忌部を率い東国に赴き、麻を栽培させる。
このとき良質の麻が成長したところを総(ふさ:麻の古語)の国といい、
阿波忌部が住んだところを安房と名づけたといわれている。

総の国は都に近い方が上総、遠い方が下総と呼ばれた。安房国の「房」と
上総国、下総国の「総」を組み合わせて「房総」と呼ばれたのである。

905年から編纂された「延喜式(えんぎしき)」には、安房国「中男作物、
紙・熟麻」、上総国「中男作物、麻200斤・紙・熟麻」、下総国「中男作
物、麻400斤・紙・熟麻」と書かれており、麻布および麻紙(和紙)がつ
くられ、税として納められていたことがわかる。

阿波(徳島県)の豪族であった忌部一族は、弥生時代の終わりから古墳時
代前期の3〜4世紀に、讃岐、河内、大和、石見、出雲、丹後、伊勢、遠
江、伊豆や房総半島に位置する安房、上総、下総をはじめ関東一円に進出
し、開拓を進めていったとされる。各地で、麻、穀(かじ)、粟、養蚕、
製紙、農業、織物などの殖産興業や弓や琴のような弦楽器や神楽などの音
楽を伝え、大和王権の確立に大きな貢献をし、宮廷祭祀を中臣氏(のちの
藤原氏)とともに担当していた。

ちなみに忌部氏の末裔である三木家は、古くからの慣わしに従い、昭和天
皇から平成天皇に変わったとき、大嘗祭(だいじょうさい)という儀式の
ために麻を栽培し、麻布を織り、麁布(あらたえ)を献上している。


●麻は、今でも日本の伝統文化を支える素材

多くの需要は化学繊維に替わったが、今でも日本の伝統工芸や文化には
欠かせない素材として知られている。その例を挙げると、、、

・繊維       
 縄文土器の縄目模様、麻織物、下駄の鼻緒、畳の縦糸、魚網や釣り糸、蚊帳、
 神社の鈴縄や注連縄、御幣、弓弦、凧糸、横綱の化粧回し、締太鼓の紐など

・茎(オガラ)   
 茅葺屋根材、お盆の迎え火・送り火、たいまつ、花火の助燃剤(麻炭)、カイロ灰

・繊維くず     
 漆喰壁の麻スサ、和紙原料

・種子(麻の実) 
 七味唐辛子、いなりずし(西日本)、がんもどき等の食用、灯明油、木材塗料

・デザイン     
 麻の葉模様(建具、着物、帯、赤ちゃんの産着など)

・人名・地名    
 麻衣、麻美、麻子など、川崎市麻生区、長野県麻績村など

・その他      
 万葉集に55首が記載、伊勢神宮の神札「神宮大麻」


●麻を巡る現状と可能性

ここで、麻を巡る最近の情勢を簡単にまとめてみると、、、

第二次世界大戦後の1950年〜1960年代に石油化学産業の進展と生活様式の西洋化
に伴い、麻の3大需要先であった下駄の鼻緒、畳の縦糸、魚網が激減したため、
栽培農家はタバコ等の作物に切り替えていった。現在の需要は、神社用途がほと
んどであり、栃木県が生産高9割を占める。また、GHQ占領下において大麻取締法
が制定され、都道府県知事の免許がないと栽培不可となった。長野県の資料館
「麻の館」の調査によると千葉県は、1960年に麻繊維1トン、栽培面積10ヘクタ
ール未満とある。他県と同様、60年代に栽培されなくなった作物と思われる。

 しかし、近年、アメリカと日本を除く、ヨーロッパやカナダやオーストラリア
などの先進国では、麻(英語名:ヘンプ”Hemp”)が森林資源と石油資源の代替
作物として、生活習慣病の予防としての健康食品として注目され、衣服、食品、
化粧品、紙、建材、プラスチック(ベンツやBMWなどの自動車内装材)などの様
々な商品が開発されて、市場を広げている。

日本でも同様の動きが始まっており、2002年に麻の実から採ったヘンプオイルを
バイオ燃料に加工し、ディーゼル車で北海道から沖縄まで12500kmを走行したヘ
ンプカー・プロジェクトは各方面に大きな影響を与えた。その後、北海道北見市
では、麻の先進国ドイツの視察ツアーが2003年に実施され、長野県美麻村では道
の駅に麻の実専門の食堂が2005年にオープンしていることなど、各地域や各企業
で様々な取り組みがはじまっている。

 匝瑳市誕生記念イベントで麻の講演を実施!

●匝瑳という地名の語源をテーマにした地域づくりを!

・千葉県内においても安房神社の館山から香取神宮のある佐原まで、
 忌部の開拓史や麻の歴史を解明して郷土研究の教材にする。
 例)千葉県館山市教委が同市内の小中学生向けの歴史副読本を製作し、
   安房と阿波の関係について紹介(徳島新聞06.1.18)

・忌部や麻をキーワードにすることによって、山陰、山陽、四国、近畿、東海、
 関東南部・北部までかなり幅広い地域間交流が生まれる。
2005年6月 徳島県吉野川市で第1回忌部サミット開催(700名参加)
 2005年8月 千葉県館山市で忌部交流会(200名参加)  →第2回は???

・忌部と麻の体験博物館をつくって日本の文化を世界へ発信する。
 地理学・考古学的な視点だけでなく、身近な生活素材であった「麻」を加え
 ることによって、植物を上手に使った日本人の知恵を学べる場所とする。
 国際文化交流、郷土・環境学習の拠点に。

・バイオマス(生物資源)産業の一つとしてヘンプ産業を興す
 千葉県は行政・民間ともにバイオマスの取り組みが盛んな地域。
 現代版の忌部開拓事業。
 例えば、千葉県が強いレジャー産業にサーフィンがある。土に帰るヘンプ・
 サーフボードも試作されているので、これをコア事業として育て、石油系ウ
 レタン発泡に替わる環境技術産業の確立を目指す。21世紀は、資材やエネル
 ギーが「石油から植物へ」大きく転換する時代である。


●祝・匝瑳市誕生イベントと阿波忌部のイベント

5月21日(日)に千葉県と匝瑳市と地元の里山保存と活用と会である
「アルカディアの会」が主催する合併記念イベントがあった。麻につ
いて、上記のような話をした。

また、同じ20日(土)には、徳島県吉野川市(旧麻植郡)の鴨島公民館
主催でふるさと歴史講演会があり、忌部研究の第一人者である林博章氏
が「日本各地を開拓した阿波忌部(あわいんべ)の足跡(そくせき)
〜麻植郡(おえのこおり)・安房(あわ)国(こく)編〜」についてお話を
している。

徳島と千葉で同時期にこのようなイベントが開かれる偶然が面白い。
下記の林先生の10年間に及ぶ研究成果についての本が発行されました。
公民館から購入できるので、ぜひ麻を全国に広めていった忌部の軌跡に
ついて知りましょう。



林博章「日本各地における阿波忌部の足跡〜安房国編〜」吉野川市鴨島公民館、2006年

鴨嶋公民館ホームページより
http://www.smiletrust.com/community/modules/shoppingcart/

目次
口絵写真1〜28
第1章 阿波忌部の概要 
1.忌部と阿波忌部
2.阿波における阿波忌部の根拠地
3.阿波忌部と中央忌部
4.阿波忌部の全国進出と文化伝播
5.阿波忌部の起源
6.阿波忌部の歴史的変遷

第2章 安房国の歴史
1.安房国の由来と阿波忌部
2.大化改新前の安房国
3.大化改新後の安房国

第3章 阿波忌部族の房総半島渡来に関する考察
1.天富命の系譜とその出自
2.東国に渡来した阿波忌部の総大将
3.「宇志比古神社」と阿波忌部の渡来時期
4.阿波忌部族の出発地
5.カンドリ考
6.メラ考
7.アワ考
8.阿波忌部の先遣隊
9.上陸から開拓への足取り
10.天太玉命の御魂を運ぶ阿波忌部
11.阿波忌部に関係する「麻原郷」・「神戸」・「神余」
12.阿波の海洋民「阿曇氏」の渡来
13.「安房国」と「阿波国」に共通する氏族
14..天富命の去就
15.紀伊忌部族の渡来とその出自
16.「勝浦」の由来と勝占忌部
17.「長白羽神」と白羽郷
18.「酉の市」と阿波忌部
19.「安房斎部系図」に見える諸神社と阿波忌部
20.まとめ

第4章 安房国における阿波忌部の足跡
1.館山市〜天富命と阿波忌部が上陸した町〜 
2.旧安房郡富山町〜語り継がれる天富命伝承〜
3.旧安房郡白浜町
4.旧安房郡千倉町
5.旧安房郡丸山町
6.旧安房郡天津小湊町〜「清澄山」の天富命伝説〜
7.勝浦市〜阿波忌部の渡来に由来する「勝浦」〜

第5章 安房国渡来に関係する阿波の諸神社15社
1.天日鷲神社(式内大社「忌部神社)
2.式内社「中内神社」
3.粟島神社(旧八條神社を合祀)
4.式内社「事代主神社」
5.御所神社(天富命の母「大麻綜杵命」を祀る神社)
6.式内社「伊加々志神社」
7.御所神社(名神大社「忌部神社」・忌部大神宮)
8.阿波国一宮「大麻比古神社」
9.式内社「鹿江比売神社」
10. 式内社「宇志比古神社」
11. 式内大社「天石門別八倉比売神社」
12.式内社「天石門別豊玉比売神社」
13.式内社「和多都美豊玉比売神社」
14.式内社「勝占神社」
15.式内社「朝立彦神社」

第6章 阿波から安房に渡った阿波忌部 交流会記録

・第1回交流会 in 館山・安房
・第2回交流会 in 麻植郡・阿波
・第3回交流会 in 館山・安房
・「安房国」訪問にて
・第4回交流会 in 麻植郡・阿波

資料編

以上





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